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祖父の死、残された祖母

2010/06/20
(この記事の文字数: 2084)

先日、私の祖父が亡くなり、生まれて初めて葬儀というものに参加しました。
そこで、私が感じたすべてを忘れないうちに記しておこうと思います。


私は人の死に直接触れるということを人生でまだ一度も経験していませんでした。
つまり、死んだ人間を直接この目で見たことがなかったのです。

祖父が心不全で亡くなったという知らせを聞いたとき、私はその死を他人の死のように感じました。まるで、ニュースで誰か知らない人間が亡くなったと聞いたときと同じような感覚で、少しも悲しいという感情は沸いてきませんでした。
子供の頃、お世話になった祖父が亡くなったにも関わらず、何の感情も沸かない自分自身が冷酷な人間のように思えて少し悲しく感じました。自分の中には、悲しみや愛という感情は本当に存在するのかさえわからなくなりました。


葬儀場に着くと、そこには親戚がすでに大勢集まっていました。しばらくすると、司会の者が式の説明を行い、僧侶が式場に入り、お経を読み始めました。生でお経を聞くということが初めてだった私にとって、それは一種の芸術のように感じられました。
死を弔う儀式、死者を送る唄、蝋燭の火と、人々の泣きすする声、すべての死者へ何かを伝えるための行為が、私が今まで味わったことのない独特の空間を作り出していました。
その空間はとても新鮮で、私は死者を送るということではなく、この空間の中に潜む芸術性に集中しました。2人の僧侶の重なる声に何を人々はイメージするのかを考えました。

祖父の死に対する実感は少しもなく、葬儀中にその死について考えることなど一度もありませんでした。
まったく私という人間はこの場に相応しくない人間でありました。


死者を弔う儀式が終わると、祖父が入った棺が開かれ、会葬者によって花が入れられました。
私はそこで人間の死を初めて目の当たりにしたわけです。祖父の鼻には詰め物が詰められ、その他は普段と何一つ変わらぬ姿でした。
死んだ人間、しかも血のつながった人間の死、私の存在するきっかけとなった人間です。私の中にわずかに死への実感が芽生え始めました。
棺の中には次々と花が入れられ、会葬者は棺の中の祖父に合掌しました。

「身体に触れられるのはこれで最後です。どなたか最後に触れておきたいという方いらっしゃいますか?」

棺が花で満たされると、式場の係員は親族達にそう言いました。すると、祖母は弱くなった足と曲がった腰に気を使いながら、ゆっくりと花で埋め尽くされた棺に近づきました。そのまま、そっと祖父の顔に手を押し当てました。

「こんなに冷たくなって」

泣いたり悲しんだりする様子は一切なく、祖母はまったく表情を変えずにそう呟きました。さも、祖父が生きているのではないかと思わせるような振る舞いで、祖母はその手で祖父の額や頬や首下の感触を確かめました。

今、どれほどの悲しみが祖母の中にあるのか。50年以上も一緒に生活してきたパートナーに触れる最後の時間に、何を感じているのだろうか。

祖父の死を受け入れ切っている祖母の表情からそれを読み取ることは不可能でした。

もしも私が祖母の立場であれば、あまりの悲しみから、その場で泣き崩れていたかもしれません。
それとも、祖母は祖父がいなくなったときに悲しみを感じないほど、悔いの残らない人生を送ってきたのでしょうか。

いずれにせよ、その気持ちはとても私に理解できるものではありませんでした。ただ、祖母の小さく見える背中と、祖父に対する生前と変わらぬ振る舞いは、大きな孤独と愛の混ざったような感情を私の中にもたらしました。
悲しみという感情から切り離されていた私にとって、この胸の熱くなるような、喉に飴玉が詰まったような感覚は、私に私が悲しみという感情を持った人間であるということを思い出させてくれました。
祖母は祖父の顔に5、6回手を当てると、何も言わずに棺から離れました。

「他にはもうよろしいでしょうか?」

棺にふたが載せられ、杭が打たれました。

祖父はその後、火葬場で焼かれ、骨になりました。私にとっては衝撃的な光景でした。先ほどまで祖父として認知できた身体は、もはや、人間であったことすら定かではない姿になっていました。その姿は、もう祖父が二度と戻ることはない、もう生きた姿を見ることがないという事実を鮮明なものにしました。

一人の人間の儚さを、その存在の忘却への孤独を、その悲しみを、誰もがこの世に生まれ消えてゆくという覆らない事実を、私は祖父の死を知ってから、ようやく感じることができました。

もしも、人の形を完全なままに残しておけるとしたら、祖母はその形を残すことを選んだでしょうか。

おそらく、そうはしなかったでしょう。

生きている者は必ず死ぬ、その死は受け入れなければならない、それをわかっているからこそ、祖母は愛する祖父を素直に送り出すことができたのだと思います。


祖父の死は悲しいことではありますが、私にとってはとても新鮮な体験であり、これからの人生に必要なものをもたらしてくれたように思います。


じいちゃん、ありがとう。
これからは、ばあちゃんを空から見守ってやって下さい。


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